学校紹介 | 沿革
沿革
奈良市月ヶ瀬は、名勝「月ヶ瀬梅渓」で古く江戸時代から早春の観光地として知られています。
森林と豊かな水に恵まれ、春は梅と桜、秋は紅葉が美しいところです。奈良市中心部から東方20km、奈良県の北東に位置し、東は三重県伊賀市、北は京都府南山城村に接しています。
大まかな学校の沿革
明治:
尾山、桃香野、石打小学校の3つの小学校ができました。
月瀬地区にあった桃香野小学校の分校が独立して、最初の月瀬小学校ができました。
大正:
尾山小学校と月瀬小学校が合併して、尾山地区に次の月瀬小学校ができました。
昭和:
月瀬中学校(のちに月ケ瀬中学校と改称)ができました。
桃香野と石打と月瀬の3つ小学校が合併して、今の月ケ瀬小学校ができました。
平成:
月ケ瀬小学校と中学校が同居する「月ケ瀬小中学校」となります。
学校の沿革
明治 7年3月 1日:
尾山・の2か村にて、尾山小学校の前身である「廣問舎」できる(尾山真福寺境内)
明治 7年3月 6日:
桃香野・月瀬の2か村にて、桃香野小学校の前身である「敬業舎」できる(桃香野善法寺境内)
明治 7年3月 8日:
石打村にて、石打小学校の前身である「求文舎」できる(石打村阿弥陀寺境内)
明治 9年 :
月瀬村(現在の月瀬地区)と嵩(当時は、波多野村の一部であった)にて、月瀬分校を設置(月瀬福寿寺境内)
(奈良県が堺県に合併され、学校は、地名で呼ばれるようになる。正式に呼称が変わるのは、翌年、明治10年から。)
明治10年 :
月瀬村にあった桃香野小学校の分校を、月瀬小学校として独立
明治13年10月 :
桃香野小学校建築
明治13年12月 :
月瀬小学校建築
明治15年 1月 :
尾山小学校建築
明治16年 3月 :
石打小学校建築(西洋風のモダンな校舎と運動場。校舎跡地は阿弥陀寺の建物。運動場跡地は石打バス停の大きな駐車場。)
明治22年4月 1日:
尾山村、石打村、長引村、桃香野村、月瀬村を合わせて、「月瀬村」が発足
※月瀬地区を、明治の初頭は「月瀬村」と呼び、「月ケ瀬村」の前身も最初は「月瀬村」と呼んでいた。
明治30年9月28日:
「月瀬村」に嵩(波多野村大字嵩)を編入
明治27年 :
尾山尋常小学校は、高等科を併設して尾山尋常高等小学校となる
(高等科やのちの高等小学校には、村外の隣接地域から通う生徒もいた)
明治42年 :
月瀬高等小学校開校(尾山尋常高等小学校に併設されていた高等科を分離独立)
高等科の独立により、尾山尋常小学校に改称
大正 5年 :
月瀬高等小学校に月瀬実業補習学校を付設し、農業補習学校を併合
大正10年 :
月瀬・尾山の2つの尋常小学校を統合と高等科併設で月瀬尋常高等小学校に改称
昭和13年 :
月瀬高等小学校に、元奈良師範学校講堂を移転し落成
昭和16年 :
3校をそれぞれ、桃香野・石打・月瀬国民学校に改称
昭和22年4月22日:
月瀬村立月瀬中学校開校(当初は、職員室は小中同室で、校長も兼務から始まる)
同年、3つの国民学校を小学校に改称
昭和27年5月14日:
中学校、独立校舎完成
昭和43年 :
月瀬村の村名を変更して、月ケ瀬村となる月ケ瀬村立月ケ瀬中学校
昭和45年4月 1日:
桃香野・石打・月瀬の3つの小学校を統合して月ヶ瀬村立月ヶ瀬小学校とする
昭和46年4月 :
小学校、新校舎竣工
昭和54年7月 5日:
中学校の新校舎落成、(隣接する場所に、現在の小中学校の元となる校舎が完成)
平成17年4月 1日:
奈良市との合併により 奈良市立月ヶ瀬小学校と、奈良市立月ケ瀬中学校となる
平成29年4月11日:
月ヶ瀬小中学校竣工式(旧月ケ瀬中学校の校舎を増改築し、小中学校の校舎とする)
※「月瀬」という呼び名は色々場面で使われていました。
現在でも「月瀬」地区を「月瀬」と呼びますが、同地区は明治初頭には「月瀬」村と呼び、6つの地区を統合してできた「月ケ瀬」村も、昭和43年まで「月瀬」村と呼んでいました。